私のはなし
私が私らしく居られたとき
ポーランドに住んでいる友人、ぴーちゃんが日本に帰って来てるので何人かで集まった。
ぴーちゃんが日本に居た頃によく皆で集まったり、ふらっと行くと誰かしら呑んでいたお店、日向食堂。
https://s.tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13024026/
今はもう新宿には無いのだけど、品川店があるからそこに行ったんだ。
待ち合わせ時間よりちょっと遅れて行ったんだけど、お店に入ったらぴーちゃんが居て。他の友達も続々と来て。新宿店の時から働いてるお店の人にも久しぶりに会えて、覚えていてくれて。
懐かしいなぁというか、一瞬タイムトリップしたような感覚に襲われた。
誰にも何にも左右されずに、私が会いたい行きたいやりたいと思って、一人で気ままに動いていたあの頃。
誰かと深く関わると、その人の影響を受けやすかったり、合わせたりし易いタイプなので(しかし最終的には自分勝手になり投げ出すってのも自覚している)、新宿日向に行っていたあの頃は自分の意思で行動していたなぁと。
少し前に、高校時代の部活の同窓会みたいなものがあった
突然だけど私は中学生の時、ダルビッシュに一目惚れをした。
正確に言うとまずダイエー時代の川﨑宗則に一目惚れをしたんだけど、それまで全く興味が無かった野球を観るようになり、試合に負けて悔しくて泣いているダルビッシュに一目惚れをした。
春のセンバツも夏の甲子園も全試合録画したし、輝け甲子園の星は発売日に手に入れてたし、試合の翌日にはスポーツ新聞を買いに自転車を飛ばした。
ある時には自宅の朝刊をポストから取り出すときに気持ちが先走り、玄関で足の小指を強打し、ダルビッシュが載っている写真を見てホクホクしつつ痛みが引かないな〜と思って足元を見たら血だらけだった。(爪が半分剥がれてた)
それから小指の爪がちゃんと生えてこない、ダルビッシュへの愛が強すぎた。
上級学校調べみたいな課題を先生に出された時も、同級生が実際に自分が目指してる高校などを調べている中で、私だけ東北高校を調べ上げ廊下に掲示した。
ダルビッシュに対する愛と熱意だけはあった。
よし、私も甲子園に行こう
高校生になったら野球部のマネージャーになろうと思っていた、憧れのあの舞台へ。
ダルビッシュと同じ世界へ。
しかし高校入学二日目、新入生歓迎会
「軽音楽部でーす、体験入部待ってまーす」
ジャララ〜ン(しょぼいギターの音)
軽音楽部の先輩に一目惚れをした。
体育館の舞台でよく分からない演奏をして、何処となく失笑されている軽音部、だけど私には輝いてしか見えなかった。
さようならダルビッシュ……
そんな不純な動機で入部した軽音部、途中で辞めることなく最後まで続けられた。
今思い返すと私は恋に恋するタイプだったから、好き!!!!!=お付き合いをしたいでは無かったのだと思う。
だから片想いが辛くてシンドくてテスト用紙が涙でぐしゃぐしゃになった事もあったけれど(受け取った先生どう思ったんだろ)、それがきっと楽しかった。それで良かった。
体育祭で皆が一生懸命スポーツを頑張ってる中、校庭の隅でカードゲームで盛り上がっているような先輩を見ているのが好きだった。
テキトーで大らかな感じの先輩が好きだった、この人がオッケーオッケーって言うなら大丈夫かなって思わせられる。
同窓会で久しぶりに会って、相変わらず良い意味でテキトーで。
やっぱり今も昔も変わらず、先輩が笑うとオールオッケーって気持ちになる。
お腹を撫でられたとき不思議な感じがしたけど、10年前の自分にはまるで想像もつかない光景だろうなって。嬉しかった。
そしてこの人に出逢って無かったら音楽を今ほど好きになってなかっただろうし、現在自分の周りに居る人達に巡り会うこともなかっただろうなって思うと、テキトーだけどとても大事なキーパーソンになっている。
私が私らしく居られたとき
そういう時に出逢えた人や物事は、生きていく中で大きなきっかけを与えてくれている。
こんなにのんびり屋の私にも分岐点が一応あるんだな〜と気付かされるよ、自分から掴み取った分岐点みたいなものはないかもしれないけど、ここが分かれ目だったなって振り返るとわかる。
去年ともちゃんと二人で行った京都、また二人で旅行したい
妊娠中は時間もあるし、なんとなく自分自身の過去を思い返してしまうね。
産まれてくる子はどんな子になるんだろう、どんな風に物事を捉えるようになるんだろう、私の経験じゃ役立たずかもしれないけどちゃんと力になれるような母親になれたらいいな。
私が私らしく居続けられるよう。