あの日:後編
つづき
陣痛の間隔がまた短くなってきて、でも子宮口が10cm開かないといきんではいけない。これが辛い。いきみたい。そして相変わらずうんちが出そう。(出ない)
あまりにも私がうんち出そうって言うから、助産師さん(可愛い)が管を入れて吸引してもらったけど出なかった。そりゃそうだ。出るうんちがないのにうんちが出そうなあの感じがずっと続く恐怖。
この状態がしばらく続いて、子宮口も開ききって、ついにいきんで良いわよって言われた時はヤッターーーーって叫びたかった、同時に、よし産むぞ!!!って感じ。
部屋にいる助産師さんの人数が増え、分娩台が形を変え、横たわって足の間にクッションを挟んでいた体制から足を開くような形になり、陣痛に合わせていきむ。
このいきむのってちょっと表現が難しいのだけど、私はこの陣痛中ずっと劇的便通みたいなものを耐えていたから、下腹部に力を入れるのは待ってました!ってくらいやりやすかった。
よし、うんち出すぞ!!!!!!!(違う)
でも絞り出すように全身の力を使うから、いきむ度にどんどん力が入りきらなくなって、自分のタイミングじゃなくて陣痛のタイミングに合わせなきゃいけないのがめちゃくちゃしんどい。体力不足。
破水は分娩台の上で助産師さんがやって(切って)くれた、生暖かい水分が太もも辺りにかかる感覚があった。
何度も
何度も何度も
出てこい!あとちょっと!頑張れ!!!!!
そう思いながらいきんだ、あとちょっとだなんて私は見えてないから分からないのにね。
14時25分
真っ赤な顔をした娘が出てきた、泣いていた
わーーー
わーーーーー
はぁーーーーーーーーーーー(安堵感)
予定日より11日早く会えたね
夫にへその緒を切ってもらった
助産師さんが胎盤も見せてくれてね、きっと気持ち悪いから嫌な人の方が多いかと思うけど、自分の体の中に一年弱あったものを見ておきたかった。これが私と娘を繋いでいたものなのかと。
さすがに食べたい(そういうことが出来る産院もあるらしい)とは思えなかったけどね、見れて良かった。写真には残してある。
片付けなどで周りがバタバタしている中、分娩台の上で私はぼんやりしながら出産は終わったけど「始まった」と口にした。
助産師さんが娘の計測などをしている間に、出産で会陰切開した箇所を縫われる。
これは思い出しただけでお腹の辺りがヒュンとする、麻酔されているから痛くないんだけど自分が縫われてる〜〜〜という感覚が怖かった。
その後はしばらく分娩台の上でカンガルーケア、30分くらいの間、産まれたばかりの娘を胸の上に乗せる。
周りでは夫とうちの両親が見守ってくれている、産後でぼんやりしていたし、カンガルーケアってそれまで知らなかったから何が何だか分からなかったけど(出来れば早く分娩台から降りてふかふかのベッドに包まれたい)、この世に産まれたばかりの小さいソレは確かに横たわった私の胸の上にいた。いる。産まれた。産んだ。
産院は実家から近い所を選んでいて、早めに夫が連絡をしてくれていたうちの両親は私が分娩台に上がってすぐの段階で様子を見に来てくれていた。
初め父が見に来てくれ、まだ時間がかかりそうだねと言って一度帰って行った。
再び産院に来てくれた時に父は「思ったより早かったね」と笑って話し、母は少し泣いていた。
これが、私の出産のお話。
もう一年経ったなんて信じられないくらい、本当にあっという間。
私の場合は初めからツワリもなく、妊娠中も大きなトラブルも無かったので、勝手にきっと出産で何かあるんだ…めちゃめちゃ時間がかかって苦しむか帝王切開になるのか……とネガティブに考えていました。
なのでこんなにも安産で娘を生むことが出来て本当に良かったなと、そして夫が休みの日で本当に本当に良かったなと思っています。
気持ち的には2人で産んだと思っているよ。
産後、入院中のことはまた次回。
あの日:前編
朝、5時過ぎに目が覚めた
家は遮光カーテンじゃないから早朝から部屋に日差しが差し込んできて、室内の温度が一気に夏になる。
朝が弱い私もさすがに暑くて自然と目が覚めるので、今朝もそれなのかと思ったが、なんだかいつもと違う感覚があった。取りあえずトイレに行きたい。
トイレでパンツを下ろすと
!!!!!!!
パンツの中に敷いているおりものシートにピンク色の染みが!
??????
寝ぼけながら、昨晩バイスサワー(アルコール抜き)飲んだのがそのまま出てきちゃったのかなぁとか考えたけど、そんなはずはなく。
うーん、と考えながら寝室に戻って、夫に報告。
改めて『おしるし』というものをネットで検索したり、手元にある妊婦本を読んでおさらい。
おしるしって、出産が近付くと見られるサイン的な役割のもので(子宮口の蓋をしていた粘液栓がはがれ、頚管粘液と混ざり合って出てくるもの)、出産の一週間前くらいから何回も出る人がいたり、全くない場合もあったりするみたいで、この時わたしは出産予定日より11日前でした。
うーん、そうか、何とも言えないけど・・・取りあえずシャワー浴びよ!
この選択は我ながらナイスだったと思う、何故ならこの日の内にシャワーを浴びることは出来なくなるから。
シャワーを浴びて、寝室に戻るとどことなく感じるお腹の痛み。
でもこの時点ではまさかこれが陣痛だと思ってなくて、チクチク痛いなぁ…まさかなぁ…くらいの気持ち。まだ全然動き回れる。
それでも念の為、産院での出産・入院についての紙を見ながら、入院セットに物をいそいそと詰める。(本来これは予定日の一ヶ月前くらいには完成させておくもの。笑)
そして、この状況下においてヤフオクとメルカリに出品していた物たちを非公開(出品停止)にしなきゃ!と頭が働いたのは、これまた我ながら凄い。
ちなみにお取り引き中だった相手には念の為、陣痛が始まったかもしれないという一報を入れ、発送を夫にお願いした。グッジョブ。
意外とこれは大丈夫なやつなのかも〜とか思っていたら
あれ、なんか、、、、痛いかも!
突然痛みが増した、これは陣痛だ。
痛いのには波があって、キュ〜〜〜〜と痛い時と、少しは治まって会話出来る時があった、陣痛の間隔が短くなるまでは家で様子見て下さい的なことを産院の母親学級で言われた(メモしてた)なぁと思い、急遽ダウンロードした陣痛間隔を計るアプリを使用、それでお腹が痛くなり始めてから1時間くらい様子を見たかなぁ。
痛くなる間隔が短くなってきて、会話するのも辛い中で夫の協力のもと産院に電話、来て下さいとのことで、急いでタクシーを呼ぶことに。
家でも外出先でもいつでも呼べるようにと、事前に登録して(諸々準備遅かったけどこれだけはやっていた)財布の中に入れていたマタニティタクシーカードに記載されている番号に掛けても一向に繋がらない!まさか!!嘘でしょ!!!
そう、この日は祝日
それだからなのか何なのか、何度かけても繋がる気配のない電話、加速するお腹の痛み、相変わらず繋がらない電話、一定の間隔でくるキュ〜〜〜〜っとした痛み。
ベッドの上でのたうち回っている私、その傍で別のタクシー会社を検索して電話して迎車をお願いしてくれた夫、涙が出る。
10〜15分待って来てくれたタクシーにさっき詰め込んだばかりの荷物を持って乗り込む、荷物の一番上にはポムポムプリンのぬいぐるみも入れた。
自宅から産院まで車で40分、普通のタクシー(マタニティタクシーは万が一に備えてシート部分にカバーがされている)だから破水して汚してしまったらどうしようなどと不安を抱きつつ、車の中でドアポケットをギュッと掴んで痛みをなんとか逃す。深呼吸をする。
痛みが引いているほんのわずかな間は、窓の外の景色を見ていた。
真夏の祝日の朝、緑色な感じ、まだ街が動き出す前の景色を、遠くをぼんやり見つめていた。
車内は私が痛みを我慢している声だけで、静かだった。
夫は手を繋いでいてくれた。
病院に着いてからはトントン拍子に物事が進んでいった
必死の思いで受付に行ったら、意外と淡白な感じ(みんな出産の時はそんな感じだから慣れてるんだろうね)で分娩台へ案内され、助産師さん(可愛い)が診てくれて。
子宮口が開いているのでこのまま出産に入ります的なことを言われてビックリしたのを覚えている、入院部屋みたいな所でもう少し様子を見るのかと思っていたから。
痛みの間隔はどんどん短くなって、でも波があって、痛くて、痛くて、痛くて、でもこれはお腹の赤ちゃんが外に出ようとゆっくり旋回している痛み、今日外に出ようと決めた赤ちゃんの為に私も一緒に頑張ろうと思えた。
これは母親学級で人形を使ってレクチャー(どうやって産道を進むのか)されたことで、思いの外わたしの頭の中に残っていたようだ。参加してて良かった。
なのでお腹の痛みは痛いけどなんとかなりそうな気がしてたんだけど、陣痛の波が来る度に、あの、その、、、
うんちが出そう!!!!!!!!!!
だけどね、実際は出ないの。
だけどね、ずっっっっっっとうんちが出そうなの。
産後に『肛門陣痛』という言葉を知ったけど、陣痛の度に赤ちゃんの頭が内側から肛門を刺激(物凄い力で押される)して生まれる痛みなんだそうな。
もう本当にそれが辛くて、自分で何か出来れば一番良いんだけど横たわって痛みに耐えることしか出来ないから、助産師さんが部屋を離れている時は夫に肛門にテニスボールを押し付けてもらった。
妊婦さんなら聞いたことがあるであろう、出産時にあったら良いもの『テニスボール』を本当に自分が使うことになるとは・・・しかも結婚して半年も経っていない夫にやってもらうなんて、もう恥ずかしさ200%!
でもテニスボールを押し付けてもらうのとそうじゃないのとでは痛みが全然違うからお願いするしかなく、力の無い声でうんち出ちゃう〜〜〜やだよ〜〜〜〜〜って言っている嫁の傍にずっと付き添っていてくれた夫には感謝しかない。
そして今まで生きてきた中で一番テニスボールと触れ合った気がするよ。
いつ終わるか分からない痛みで段々と心細くなり、経過を診に来てくれる助産師さん(可愛い)が心の拠り所になり、部屋を出て行こうとする助産師さんに「先生行かないで〜〜〜〜〜」と泣きそうな声で言ったら「私は先生じゃない」と笑われた。
でもその後からほとんど部屋の中に居てくれるようになった、好きです!!!
いつもの立ち飲み屋で前日に飲んでたバイスサワー(アルコール抜き)
つづく
ヤングコーン
義理の母が家に遊びに来てくれる時は、いつもわんさかお土産を持って来てくれる。
来る途中の道の駅で買ってくれた野菜だったり、海外旅行に行ったお土産だったり、親戚の人が作ってくれたジャムだったり、春にはつくしを持ってきてくれた。
その少し前、山口県に里帰り出産をしていた友人がSNSにつくしの写真を載せていて、いいなぁ、そう言えば本物のつくしって見た事がないかもしれないと考えていたところだった。
この前は畑で収穫した葉っぱがついたままの人参(ベビーキャロット)を持ってきてくれて、その少し前、人参の葉っぱを食べてみたいなぁと考えていたところだった。
義母はエスパーなのかもしれない
皮付きのヤングコーンを持ってきてくれたこともあった
私の中でのヤングコーンは缶詰や袋詰めされて数本ぎゅぎゅっと入っているイメージしかなく、手渡された物を見た時は「???」状態だった。
なのでネットで剥き方&茹で方(レンジ)を調べて、書いてある通りにやってみただけなんだけど、凄い感動してしまったよ。
本当にこれで合ってるのだろうか?どんな形状で出てくるのだろうか?熱いしヒゲもしゃもしゃしてる・・・って思いながら何枚も何枚も剥いていったら、小さくてツヤツヤ黄色いヤングコーンが出てくるじゃありませんか!
か、かわいい〜〜〜〜〜〜〜
竹取物語みたいでドキドキしてしまった、ヤングコーン物語が始まるかと思った。
しかも一本なのか!と、これだけ厳重に大切に守られているのに中に入っているのは一本だけなのかと。
常識なんだろうけど、私にとっては初めてのことだったから何もかも新鮮だった。
なんだかその、厳重に大切に守られている小さな存在が、赤ちゃんと似ていて優しい気持ちになったよ。
去年の山の日に出産して、あっという間に10ヶ月が経ちました
これは生後20日くらいの時の写真、ヤングコーンより小さいねぇ
少しずつ、思い出しながら出産からの日々を記録に残せればと思います。
私のはなし
私が私らしく居られたとき
ポーランドに住んでいる友人、ぴーちゃんが日本に帰って来てるので何人かで集まった。
ぴーちゃんが日本に居た頃によく皆で集まったり、ふらっと行くと誰かしら呑んでいたお店、日向食堂。
https://s.tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13024026/
今はもう新宿には無いのだけど、品川店があるからそこに行ったんだ。
待ち合わせ時間よりちょっと遅れて行ったんだけど、お店に入ったらぴーちゃんが居て。他の友達も続々と来て。新宿店の時から働いてるお店の人にも久しぶりに会えて、覚えていてくれて。
懐かしいなぁというか、一瞬タイムトリップしたような感覚に襲われた。
誰にも何にも左右されずに、私が会いたい行きたいやりたいと思って、一人で気ままに動いていたあの頃。
誰かと深く関わると、その人の影響を受けやすかったり、合わせたりし易いタイプなので(しかし最終的には自分勝手になり投げ出すってのも自覚している)、新宿日向に行っていたあの頃は自分の意思で行動していたなぁと。
少し前に、高校時代の部活の同窓会みたいなものがあった
突然だけど私は中学生の時、ダルビッシュに一目惚れをした。
正確に言うとまずダイエー時代の川﨑宗則に一目惚れをしたんだけど、それまで全く興味が無かった野球を観るようになり、試合に負けて悔しくて泣いているダルビッシュに一目惚れをした。
春のセンバツも夏の甲子園も全試合録画したし、輝け甲子園の星は発売日に手に入れてたし、試合の翌日にはスポーツ新聞を買いに自転車を飛ばした。
ある時には自宅の朝刊をポストから取り出すときに気持ちが先走り、玄関で足の小指を強打し、ダルビッシュが載っている写真を見てホクホクしつつ痛みが引かないな〜と思って足元を見たら血だらけだった。(爪が半分剥がれてた)
それから小指の爪がちゃんと生えてこない、ダルビッシュへの愛が強すぎた。
上級学校調べみたいな課題を先生に出された時も、同級生が実際に自分が目指してる高校などを調べている中で、私だけ東北高校を調べ上げ廊下に掲示した。
ダルビッシュに対する愛と熱意だけはあった。
よし、私も甲子園に行こう
高校生になったら野球部のマネージャーになろうと思っていた、憧れのあの舞台へ。
ダルビッシュと同じ世界へ。
しかし高校入学二日目、新入生歓迎会
「軽音楽部でーす、体験入部待ってまーす」
ジャララ〜ン(しょぼいギターの音)
軽音楽部の先輩に一目惚れをした。
体育館の舞台でよく分からない演奏をして、何処となく失笑されている軽音部、だけど私には輝いてしか見えなかった。
さようならダルビッシュ……
そんな不純な動機で入部した軽音部、途中で辞めることなく最後まで続けられた。
今思い返すと私は恋に恋するタイプだったから、好き!!!!!=お付き合いをしたいでは無かったのだと思う。
だから片想いが辛くてシンドくてテスト用紙が涙でぐしゃぐしゃになった事もあったけれど(受け取った先生どう思ったんだろ)、それがきっと楽しかった。それで良かった。
体育祭で皆が一生懸命スポーツを頑張ってる中、校庭の隅でカードゲームで盛り上がっているような先輩を見ているのが好きだった。
テキトーで大らかな感じの先輩が好きだった、この人がオッケーオッケーって言うなら大丈夫かなって思わせられる。
同窓会で久しぶりに会って、相変わらず良い意味でテキトーで。
やっぱり今も昔も変わらず、先輩が笑うとオールオッケーって気持ちになる。
お腹を撫でられたとき不思議な感じがしたけど、10年前の自分にはまるで想像もつかない光景だろうなって。嬉しかった。
そしてこの人に出逢って無かったら音楽を今ほど好きになってなかっただろうし、現在自分の周りに居る人達に巡り会うこともなかっただろうなって思うと、テキトーだけどとても大事なキーパーソンになっている。
私が私らしく居られたとき
そういう時に出逢えた人や物事は、生きていく中で大きなきっかけを与えてくれている。
こんなにのんびり屋の私にも分岐点が一応あるんだな〜と気付かされるよ、自分から掴み取った分岐点みたいなものはないかもしれないけど、ここが分かれ目だったなって振り返るとわかる。
去年ともちゃんと二人で行った京都、また二人で旅行したい
妊娠中は時間もあるし、なんとなく自分自身の過去を思い返してしまうね。
産まれてくる子はどんな子になるんだろう、どんな風に物事を捉えるようになるんだろう、私の経験じゃ役立たずかもしれないけどちゃんと力になれるような母親になれたらいいな。
私が私らしく居続けられるよう。
ごはんノート
日々のご飯、記録として載せておこうかな
ツナとシラスとトマトの冷製パスタ
チンジャオロース
梅干しとゴマの炊き込みご飯(これ食欲無い時にピッタリ!)
モロヘイヤとカブのお味噌汁
ニンニクの芽とキノコのパスタ
と
ノンアルコールビール的なやつ!!!
EMCのグラス可愛いなぁ〜
肉じゃが
トウモロコシと大根の葉の炊き込み御飯
夫が作ってくれたオムライス
オクシモロン風のカレー(程遠い)
パンダいなり寿司
とん汁
(飛び出してるのは白アスパラ)
(丸まってるのは茹でたソーセージ)
エスニック風焼きそば(家にソースが無かった)
キュウリの梅和え
夏野菜のあんかけハンバーグ
ジャガイモとニンジンのきんぴら
カボチャと大根の煮物
ジャガイモとワカメの酢の物
鰹のたたき漬け丼
揚げ出し豆腐(焼いた)
セロリとコーンと卵のスープ
サーモンのマッシュポテト乗せ焼き
(サツマイモも一緒に潰してみた)
不慣れながらに自炊しているよ
妊娠期間中、食べた方がいいもの&ダメなものがあるけど、基本的にわたしは食べたい物を作って食べている。
洒落た物は作れないし、品数も多くは無理だけど、お肉もお魚も野菜も食べれるように〜とは考えている。
塩分は摂り過ぎないようには気を付けている、妊娠初期の頃から先生に言われてたから少しは守ろうと思って。
あとはお財布との相談で、スーパーを何軒か回る。
暑いし荷物もお腹も重たいけど、いま住んでいる街はその買い方の方が自分が納得いくから。元気無い野菜に高いお金出せないよーって。
これくらい買っても700円くらいの八百屋さんが近くにあるから助かる、わたしのお財布とお腹の味方…!(都内を出ればもっと安いんだろうなぁ)
夫も早く帰ってきた時とか、わたしがヒーヒー言ってる時は作るの手伝ってくれるからとても助かる。感謝してるよ。
あと、一緒に作るの楽しいです。
でも、たまには外食もいいよね。
8月
昨日でついに正産期に入った、これでいつ産まれても大丈夫。
大体いつもは週数が変わる月曜日に身体に何かしら変化を感じるのだけど、昨日は特に無かったなぁ。
でも日に日に胎動は大きくなってるし、動きにくいというか、歩きにくかったり、さっき行ったばっかりなのにすぐにトイレ行きたくなったりする。
あと、妊娠関係ないかもだけど、外に出るのが物凄く億劫で、買い物行かなきゃな〜って分かってても、レジで誰かと接するのが嫌だなと思ってしまう。道で人とすれ違うのも嫌だな、くらいになっている。
この前久しぶりに新宿に行って、マタニティ用品探して無印良品を3店舗ハシゴしたんだけど、まぁ新宿ってこんなに人が多かったかしら!って。
学校も新宿だったし、おやホロのライブも新宿LOFTが多かったから散々行っていたはずの新宿なのに、とてつもなく居心地が悪かった。人とすれ違う時ぶつかられるんじゃないかと思って怖かった。
実際に、エスカレーターの左側に乗ってて右側を追い越してきたオバさんに軽くぶつかられたんだけど、無我夢中でポケモンGOやってて呆気に取られた。
…モンスターボール投げつけてやりたかったですな。
7月は『母親学級』と『パパママ学級』に通ったので記録しておきます。
わたしが行ったのは区が開催している『平日母親学級』全3回と、夫と参加する『休日パパママ学級」でした。
パパママ学級は夫に妊婦体験とか沐浴練習とかして貰える良い機会になるなぁと思ってたし、先輩パパママさん達からもあれはオススメだよって話を聞いていたから絶対行こうと思っていて。
逆に最後まで参加するべきか迷ったのが母親学級で、休日母親学級は一日で終わるんだけど、平日母親学級は3回もあること。
それと、これまで自分以外の妊婦さんと接する機会がなかったから、周りの方々との温度差とか考え方の違いとか色々現実に直面するのが怖いなぁという不安な気持ちがあって。
でも、結果的に言えばわたしは参加して良かったと思います。
全員で30人くらい居たのかな?毎回それくらいの人数で開催されて、初回は指定されたグループに分かれて自己紹介とかするオリエンテーションがあり。
2回目、3回目は自由着席だったけど、座った机が同じ方々とお話ししたり、保健師さんからの質問に答えたりした。
そういうの凄く苦手…と思ってたけど、他の妊婦さん本当に知識が豊富でねぇ。
ちゃんと勉強して実践してるんだなぁ、凄いなぁって、へぇ、へぇ、へぇ〜〜〜ってわたしは感心しているばかりでした。
…初回のグループ分けの時に係りの人が名前を呼んで、誰がどこの班なのか割り振ってくれたんだけど、ドキドキしながら待ってても最後まで名前が呼ばれなくて一人だけポツンと立っていて。(もう一人いたかな?)
あれ??!!って思ったら最初の方に呼ばれてたという……絶対聞き逃しちゃダメ!しっかり!って気を引き締めてただけにショックが大きかったよー。しっかりしたいよー。昔からこんなだよー。
あと、同じ時期に出産する人はあまり居ませんでした。
他の妊婦さんがしっかりしているからか、わたしが常にギリギリ行動だからか、予定日までまだ日がある人が多かったです。
でも実際に母親学級で保健師さんや栄養士さんが話してくれた内容は、妊娠初期〜中期に知れていたらベスト!って感じなことが多かったから、早い時期に行けた方がよりタメになるかと思いました。仕事してる以上、産休入らないと平日の参加は難しいだろうけど。
そして何よりわたしが嬉しかったのは、母親学級もパパママ学級もなんだけど、参加すると母子手帳に、参加したよ!って証として専用の印鑑押して貰えるのが何だかスタンプラリーみたいでね。ワーイってなるんだよね。笑
先日には出産予定の産院でのマザークラスにも参加したのでスタンプ増えてホクホクした、もっと増やしたい!(こんなこと考えてる妊婦さん他にいたら友達になりたい)
でもスタンプいっぱいになったら将来子供に見せたいな、貴方を産む前にちゃんとお勉強しに行ったよって。夏の暑い時期だったよって。
今日こそはちょっとは外に出なきゃ、ね。
つぶやき
本当にこのお腹に入ってるのは人間なのか?と考える時がある。
世の妊婦さんは当たり前のように、人間の形をした『赤ちゃん』が己の股ぐらから現れるのだと思ってるのだろうか。
わたしは未だにこのお腹の中に肌色の人間の形をしたものが入っていて、成長して動いているのが想像ついていない。
このズンドコぼこぼこグイグイ動いているのが人間、ほぉ…(他人事)
ここ一ヶ月で二度ほど出産する夢をみた、先日みたのはスルンと極度の安産で産まれるまぁ普通の内容。
もう一回はヌルンと、これが産まれた
きーぼー
可愛いよ、きーぼー
安城七夕まつりのキャラクターだそうで、テレビで見て可愛いなぁと思ってたら私が産んだ。
でもきっとこんなイメージがどこかにあるんだと思う、肌色の人間がお腹の中に居るよりも、白くてツルッとした生き物が居る方がなんか納得がいく。
もう臨月なのに、何言ってんだか〜って感じだけど。